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ちょろげ日記

日々のちょろっとしたことを

エスカレーターの片側空けが始まったきっかけ

調べてまとめ

全国のJR・私鉄、空港などが「みんなで手すりにつかまろう」キャンペーンを一斉に実施するという記事を見ました。

bizmakoto.jp

エスカレーターで片側を空ける習慣は危険な事故につながる場合もあるので、「エスカレーターでは立ち止まり、手すりにつかまる」ことを呼び掛けるという内容です。

私も日常的にエスカレーターを使いますから興味がある記事ですが、記事からは読み取れなかった次の3点について気になったので調べてみました。

  • 片側空けが始まったきっかけ
  • 世界の片側空け事情
  • 日本の片側空け禁止キャンペーンの背景  

片側空けのきっかけ

日本で片側空けがどのように広まったかは、次の日経新聞の記事で紹介されています。

www.nikkei.com

エスカレーターのマナーに詳しい江戸川大学社会学部の斗鬼正一教授によると、起源は英国だという。第2次世界大戦中に混雑緩和のためのマナーとして考案されたらしい。日本では1967年に阪急電鉄の梅田駅が移転した際、エスカレーターが長くなったので、急ぐ人のために「片側空け」を呼び掛けたのが最初。さらに1970年に開催した大阪万博の「動く歩道」にも、国際化に対応しようと英国式マナーが導入された。つまり、日本では大阪が「発祥の地」だったのだ。やがて、「片側空け」が全国に本格的に普及するのは1980~90年代以降のこと。特に東京では深い地下鉄駅が相次いで建設されて長距離のエスカレーターが増えたため、「片側空け」が徐々に普及するようになった。これらを時系列でまとめると、英国→大阪→東京という順番で普及してきたのが「片側空け」の大まかな歴史ということになる。

日本のきっかけはわかりますが、イギリスのきっかけが「らしい」という書き方で少し曖昧な印象が残ります。
 

エスカレーターの構造がきっかけ?

そこで、調べてみるとイギリスのきっかけは諸説あることがわかりました。その中でも、なるほどと思えるものがあったので紹介します。

それは1920年代にロンドンの地下鉄で導入されていたエスカレーターの構造に起因するという説です。BBCの記事に具体的な説明がありました。
 
BBC - London - Where does Underground etiquette come from?

The escalator design had a diagonal step-off(適当意訳:エスカレーターは斜めに降りる設計だった。)

1920年代のロンドンの地下鉄で採用されいていたエスカレーターの降り場は斜めになっていて右へ降りるような形式だったそうです。

これがどういうことかを説明するために、記事では1928年公開のサイレント映画「Underground 」が紹介されていました。

1分21秒あたりから。降り場が写り、その後エスカレーターに慣れていないと思われる男性が戸惑いながらなんとか降りるシーンが流れます。

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たしかに降り場が斜めになっています。しかし、記事内ではこの降り場によって必然的片側空け(右側に立って、左側で歩く)をするようになった、と書かれていて少し踏み込んだ説明が書かれていません。

ですので、ここからは私の憶測です。

この形状の場合、右足のほうが降り場に早く到達しますから、つっかからないように右足から足を踏み出すのがスムーズです。

右足から踏み出すときには、右手側に傾く重心を支えられるように右手側に手すりがあったほうがよいので、右側に立つように心理が働くはずです(松葉杖は怪我をしている足側で支えますよね)。

また、仮に降り場で右足が突っかかってしまった場合、右前に倒れることになるので、やはり右側に立って右側の手すりを持つように心理が働きます。

こうして慣れていない人を含めて右側に立つ人は多くなります。立ち止まっている人を追い越したい人は左側から追い抜くわけで、自然な流れで片側空け(右側立ち、左側歩き)になったのではないか、と考えられます。

なぜ、降り場が斜めになっているかについても記事には書かれていなかったので補足しておきます。これは、オーチス社*1の資料でわかりやすいと思います。

f:id:tyoro_ge:20150719015914j:plain

http://www.otisworldwide.com/pdf/aboutescalators.pdf

1920年頃の降り場の形状(上)と現在の降り場の形状(下)。

1920年頃は板がそのままストンと落ちる形状でした。そのままでは足が引き込まれるリスクが高いため、斜めの降り場を作っていたと考えられます。

現在はおなじみの櫛状になって安全性が高まったので、斜めの降り場を作る必要がなくなったものの、片側空け(右側立ち、左側歩き)の習慣は残ったというわけです。
 

世界の片側空け事情

それでは、こういった事情でいつの間にか定着していった片側空けは、世界でどれくらい定着しているのでしょうか?

例えばロサンゼルスの地下鉄の公式サイトでは、優先席で高齢者に席を譲りましょうといったエチケットとともに、片側空け(右側立ち、左側歩き)がエチケットであることを説明する動画が公開されています。

LA Metro Home | Rider Etiquette – Make the Right Play

2014年に開通したばかりのインド・ムンバイ地下鉄のツイッターアカウントは「#SafetyCampaign」というハッシュタグとともに片側空け(右側歩き、左側立ち)を啓蒙しています。

こちらは場所はわかりませんが、ドイツの片側空け(右側立ち、左側歩き)を説明するガイド。わかりやすいですね。

こちらも場所はわかりませんが、言葉で説明するガイド。「STAND TO THE RIGHT,HOLD ON TIGHT!」韻を踏んでて覚えやすいかも。

 
啓蒙が行われている一方で、「escalator etiquette」でツイッター検索してみてとれる皆さんの愚痴をみるにつけて、浸透が難しいことも伝わってきます。

ツイートをざっと見てみると、主張は大きく2つに分かれているようです。

  • 片側を空けるべきで、右に立つべき
  • 片側を空けるべきで、左に立つべき

日本の冒頭のキャンペーンはいずれでもない「エスカレーターでは立ち止まって手すりを持つ(歩かない)」です。オリンピックもありますし、外国人観光客が増えていく中で日本独自の啓蒙はどの程度通用するんでしょうか。

実はロンドンでも1970年代にエスカレーターに乗っている間は黄色の枠線内に立ち止まりましょう「Stand Still Stand Steady Stand Clear」というキャッチコピーのCMが流れていたそうです。

現在はどうかというとこのとおりです。

There are 426 escalators on the London Underground and there's a signposted system of standing to the right and walking to the left.(適当意訳:ロンドンの地下鉄にある426のエスカレーターには、片側空け(右側立ち、左側歩き)を示す標識があります)Escalator etiquette: The dos and don'ts - BBC News

安全性の観点から立ち止まるよう啓蒙しても、一度浸透した習慣を覆すのはなかなか難しいのかもしれません。
   

日本の片側空け禁止キャンペーンの背景

そもそも、なぜ日本独自の主張をするようになったんでしょうか。ここで元記事に返ってみます。

「片側を空けて乗ることのできないお客にとっては危険な事故につながる場合もある」とありますが、この根拠を説明する資料を探してみました。

少し古いですが平成17年の「エスカレーターに係る事故防止対策について(PDF)」という報告書があったので紹介します*2

事故事例調査その1・2では、高齢者の事故が699人で 53.1%を占めている。…年代別事故率(人口10万人あたりの年間事故人数)は、60歳から増加する傾向にある。なお、受傷区分別にみると、1,317人のうち、からみると転倒・転落によるものが1,261人(95.7%)と大半を占めている。

高齢者の事故が多いこと、転倒・転落による事故が非常に多いことがわかります。

(調査2より)自らの歩行等による事故が38人(12.1%)、本人が立っている状態で他の歩行者に接触された事故が6人(1.9%)発生しており、また、利用者の意識調査においても歩行を危険と感じている高齢者が268人(61.6%)にのぼり、「子供と手をつないで乗ることができない」などの意見があり、歩行に関する問題も浮かび上がっている。 文献調査からは、階段に比較して、踏段のけあげの高さと踏面の寸法との関係か らみてバランスが悪く、歩行には適さない構造であることも分かる。  

個人的には歩行が要因となっていると考えられる事故は思ったより少ないな、という印象を受けました。高齢者の6割が歩行が危ないと感じているというデータからは、周りへの配慮を考えなくてはいけないことがわかります。

また、エスカレーターの段差が歩行には適していないという意見もありますが、構造に関しては、国土交通省の「国土技術政策総合研究所プロジェクト研究報告第4章(PDF)」では次のような指摘しています。

歩行に伴う衝撃で安全装置の不要動作(急停止)の原因ともなる。また、階段列を連結している2列の階段チェーンのうち、歩行側の片方が衝撃によって異常伸びをきたすことである。この現象は、階段チェーンの寿命(交換)のみならず、経年的に踏段相互間のすき間が拡大し、異物(靴など)を巻き込みやすくなる可能性がある。

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急停止や巻き込みの真の要因の一つが歩行による衝撃であるととれる指摘です。

元資料に戻ります。

手すり利用状況については、つまずき等を起こした78人のうち、手すり利用無しは62人(79.5%)であり、手すり利用有り(手すりをつかんでいた、時々つかんでいた)は16人(20.5%)手すり利用無しの割合高かった。

つまずき事故は手すりを掴んでいない場合のほうが起きやすいことがわかります。

そして、これらをうけて次のような提言をしています。

手すり利用は、「つまずき」や「ふらつき」、他の利用者との接触でバランスを崩すことなどの防止が図られる。特に高齢者は身体能力の低下がみられることから、転倒防止に有効である。また、つまずきや他の利用者との接触による事故を誘発する歩行は避ける。

 

片側空けでも手すりをつかむことはできますが、何らかの理由で片側の手すりしか持てない人がいると手すりを持てなくなります。

このことから、なるべく多くの人に手すりをつかんでもらうために、片側空けの習慣をなくす=歩行を禁止するというのは納得できます。

また、歩行が危ないと感じている高齢者への配慮であったり、歩行による衝撃が事故の要因になりうることを踏まえて、歩行を禁止するというのも納得できます。

具体的な調査結果をもとにした説明があったほうが腹落ち感があるので、そういった啓蒙の仕方も必要なのかもしれません。
 

まとめ

片側空けが定着しているのは、立っていたい人・急いでいる人が混在する中で、それぞれの好きなよう動けるように配慮した結果だと思います。健康的・効率的だからという視点もあるかもしれません。

一方で、片側空け禁止は、安全性であったり、手すりを片側しか持てない人や高齢者への配慮といった視点に基づくルールです。

両立は難しいでしょうから、大きく言えば「価値観をかえましょうね」と言っているようなものです。なかなか浸透はしないと思います。

それでも、もともと大阪万博で英国式マナーとして導入された片側空けですが、次の東京オリンピックをきっかけに日本式マナーとして片側空け禁止が世界に広まっていく、というのも面白いかもしれません。

*1:現在のエスカレーターの原型を開発、エスカレーターという名称の商標権を持っていた会社

*2:調査1(平成15年1月1日から平成16年3月31日までに、東京消防庁管轄区域内でエスカレーターに関連して発生した1,014人の救急事故のうち、年齢等の情報が不明な10名を除いた1,004人分について、救急活動記録等を基にした調査)調査2(平成16年8月30日から12月31日までに東京消防庁管轄区域内で、エスカレーターに関連して発生した313人分の救急事故についての調査)