ちょろげ日記

日々のちょろっとしたことを

夏にノスタルジー映画を観たくなるわけとその喪失感から抜け出す方法

夏は成長の季節

帰省帰りの新幹線。2歳半になる娘が「ヒィン…」と消え入りそうな声で泣き出した。どうしたの?と聞いたら、じじばばとの三日間が楽しくてお別れが悲しくなってしまったらしい。こんな泣き方が初めてだったので、ビックリして妻と顔を見合わせてしまった。

やはり夏は成長の季節なのだと思う。子どもは夏の終わりとともに成長する。

こういった子どもの頃の夏を思い出そうとすると、なんだか懐かしいような物悲しいような気持ちになる。

このノスタルジーな気持ちを引き起こす一因は、子供の頃の成長にあると思う。時間的に戻れないだけでなく、成長によってある節目を飛び越えてしまって、もう戻れない。だからこそ懐かしいけれど物悲しい。

やかましい蝉の声やむわっとした草木のにおい、じりじりとした日差し、情景が五感にはっきりと残る夏は、もう戻れない頃のできごとをより一層際立てる。

というわけで、夏といえば成長の季節であり、子どもの成長を描いた映画やドラマを観て、自分の子どもの頃を思い出してノスタルジーに浸るにはもってこいの季節でもある、というのが私の意見。

ただ、浸りすぎてあの頃は良かった的な喪失感が残るのが難点だったりする。

ノスタルジーはいいもの?

ノスタルジーは、17世紀の終わりにスイスのヨハネス・ホウファーという医学生がつくった概念であり、「帰郷」を意味する"nostos"と「傷心」を意味する"algos"から2つのギリシャ語からノスタルジア(nostalgia)と名付けた。はじめはスイス人固有の症状と思われていた。……などの豆知識は下のTED動画で知ることが出来る。

紆余曲折を経て、いまのところノスタルジーはいいものであるという科学的な知見が得られているらしい。

喪失感や悲壮感などが交錯した複雑な感情状態にもかかわらず、ノスタルジアはすべての人を否定的な気分にするわけではありません。一人ひとりが個人的に重要で意味のある経験を思い出し、ほかの人たちと共有することでノスタルジアは心理的に幸福感を高めることができる

そして、この知見をもとに、マーケティング的にいけるじゃんということで、ノスタルジー映画が量産されているわけだ。

喪失感をひっくりかえす言葉

でも、ノスタルジーがいいものだと言われても、あの懐かしい経験に対する喪失感はいかんともしがたい。ノスタルジーに限らず、終わってしまって悲しい、という感情をどう前向きに変換すればいいんだろうか。

私はその方法をブレイキング・バッドに出ていたブライアン・クランストンに教わった。

化学教師 ウォルター・ホワイト

羞恥心で喪失感を上塗りしろ、荒野で白ブリーフがもってこいだ!とかそういうのではなくて、次の言葉を反芻するだけだ。

「Don’t cry because it’s over, smile because it happened」

ブレイキング・バッドの最終シーズンフィナーレにさしかかる頃、番組終了に悲しむファンに向けてブライアン・クランストンが言葉だ。元は絵本作家のDrスースの言葉らしい。

「終わってしまったからといって泣かないで、経験できたことを喜ぼう」

ノスタルジーに引っ張られ過ぎそうな時は、このフレーズを思い出すと視点が今の自分に引き戻される。あの経験を活かそう!とか、あの経験があって今の自分がある!とか、元気がでてくる。シンプルだけれど自分にとっては強力な言葉だ。

 そんなわけで夏といえばノスタルジー映画

そんなわけで、夏はノスタルジーを喚起する映画を観よう!

スタンド・バイ・ミー  (字幕版)

やっぱりスタンド・バイ・ミーはかかせない。少年たちの苦悩と成長を描いているし、大人になった主人公がもう戻れない12歳の頃の夏を思い起こすという形式をとっている。それに季節そのものも夏の終わりを描いている。80年代文化がドンピシャではない私にとって、あの懐かしの時代の空気感、というノスタルジーはないけれど、子どもの成長体験を思い起こすノスタルジーがたっぷりつまった映画だ。

一番好きなシーンは、主人公のゴーディーが早朝の森の中で鹿と見つめ合うシーン。ゴーディーは、その出来事を仲間たちに敢えて話さずに自分だけの秘密とすることにしていた。子供の頃は、夏の早朝にこういう静かだけれど神秘的とも言える瞬間をいくつも体験していた気がする。その瞬間はなかなか言葉では伝えられないし、それを敢えて秘めておく、というのが少し大人になったような気がした。 

次に少年たちの冒険といえば、腹踊りやピアノでいろいろ発動するピタゴラスイッチ映画、グーニーズをはずせない。

グーニーズ (字幕版)

自転車ならどこまでも行ける感、仲間とのワイガヤ感、冒険的な子どもの成長をがたっぷりつまっている。スタンド・バイ・ミーのような深さはないけれど、こういうノスタルジーもある。

グーニーズは他作品にも出ていた出演者が多く、同時期に観た映画が連鎖的に思い出されて、単純な懐かしさという意味でも2度3度も美味しい。

マウスは、スタンド・バイ・ミーやグレムリンに出ていたし、データはインディ・ジョーンズ 魔宮の伝説に出ていた。ちょっと観た時期はずれるけど、フラッテリー一家のママは鬼ママを殺せで観ておお!となった。かなりしばらくして、マイキーはロード・オブ・ザ・リングでおおお!となったし、幼女の自転車を奪い去って激走した兄ちゃんに至っては売れっ子になって度々、グーニーズの引き出しを開けるトリガーになっている。

もう一つ、外せないのがE・T。

E.T. (字幕版)

未知との遭遇、大人に内緒で何かをやり遂げる達成感、子供の頃の想像力や行動力を思い起こさせる映画だ。

ところで、久しぶりにE・Tを観てとんでもない記憶違いをしていたことに気づいた。ここ数十年の間、E・T的なノリになった時、上のポスターにある通り指を突き出してこう言い続けていた。

「E・T ゴーホーム」

実際はそのセリフは全然違うシーンで使われてるし、指を合わせてるのも友好だとか意思疎通のためでなくて、傷をちゃちゃっと治すシーンだった。まじゴーホームしたい気分になった。羞恥心で喪失感は上塗りできるようだ。

ストレンジャーシングス

さて、ノスタルジーに浸りたい、というときに上で挙げた3作品が真っ先に浮かぶけど、他にもないだろうか。そんな感じで探していると2016年に大ブームになっていた「ストレンジャーシングス」という海外ドラマを見つけた。

ざっくり言うと、子どもたちが未知の存在と出会い、探しものをみつけに線路を歩き、まぁいろいろあって、自転車で爆走、そんなドラマだ。

E・Tをベースにグーニーズを和えてスタンド・バイ・ミーを少々ふりかけた感じで、そこに、スティーブン・キングのホラーっぽさを添えて、エイリアン的なSFホラーも少々、それとシャイニングとかポルターガイストとか、まぁ、80年代あたりの要素をてんこ盛りで添えて、某麻呂さん風に言うと、80年代オマージュの宝箱やー、という仕上がりになっている。

でも、ここはあのオマージュね、と思ってリラックスしてみてるとハッ!とするシーンが多々あるし、単なるオマージュのごった煮ではなくて、新しいテイストに仕上がっている名作だと思う(ブームに乗り遅れて視聴して今更だけど)。

ノスタルジーで終わらない良さ

観終わって、ストレンジャーシングスが単なるノスタルジードラマではない、と思った一番の理由は、グーニーズやスタンドバイミーのように少年たちだけのストーリーになっていないところだ。

ストレンジャーシングスは、主人公である少年たち、主人公の姉たち、大人たち、大きく3つのストーリーが混じり合ってが進む。

メインとなるのは少年たちだけど、私はいつの間にか大人たちのストーリーに最も手に汗を握っていた。今現在の自分の視点、つまり親の視点に強く共感を持ったんだろう。

これは私なりの解釈だが、ストレンジャーシングスは、視聴者の子供時分の成長体験を呼び起こすことでノスタルジードラマを成立させているだけでなく(もちろん80年代文化がドンピシャな人には純粋な懐かしさも効いている)、3つの世代のストーリーを絡ませ、親の視点へステップアップさせることで、ノスタルジーに浸らせすぎない現実感のある余韻を与える、そういった考えが入っているのではないかと思う。

私にとっては、ブライアン・クランストンの言葉がなくとも喪失感を払拭できるノスタルジー作品、とも言える。

夏にノスタルジーはいいけど、観たあと切ない気持ちを引きずっちゃうんだよね、なんて人にはうってつけの作品、観てみてはいかがでしょうか。 

特別お題「夏の《映画・ドラマ・アニメ》」

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